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機能と装飾

僕はプロダクトをデザインする上で「機能性」と「装飾性」の関係について、とても気にして(気になって)しまいます。

「装飾性を重視すれば機能性を犠牲にせねばならず、機能性を重視すれば装飾性を排除しなければいけない」そういう意見って、けっこう耳にします。デザインという仕事をする以上、そのような事態には往々にして遭遇するのも確かに事実なのですが…

初期のバウハウスでは意外にもエモーションや精神にも重点を置いていました。ですが、これは(善し悪しは別として)合理化や機能主義に押されてしまいます。その一方、ル・コルビュジェはダダやピュリズムの作家と共に「エスプリヌーヴォー(新精神)」という雑誌を創ることで、モダニズム時代における精神性の在り方を模索しています。コルビュジェの建築が合理性の追求でありながらも詩的とも言われる由縁です。

現代ではさらに要素は複雑です。技術は進み、市場は飽和し、多様性がカンブリア爆発のように増殖を続けています。市場においては販売上のトレンドというものにかろうじて束ねられているのですが、もはや合理主義と表現主義と言った単純な構図ではなく、その中間層が無限に分裂しつつあります。言わば市場主義です。

僕はこのカオスを、これは確かに市場原理に基づくものなのですが、プロダクトが人間性に回帰する動きだと捕らえています。これこそ、現代の市場が求めているインサイトなのではないでしょうか。幸いにして、現代ではCADの発達で合理的に表現主義を生み出すことさえ技術的に可能となったことも要因のひとつでしょう。

ここからは僕自身のことに限定されてしまうのですが、僕は未だにプロダクトにとって機能性の追求こそが最大の使命だと考えています。重要なのは、この機能そのものが現代ではシフトしており、人間性の回帰や精神性の獲得すら機能(商品力)として求められているといる点。この製造の構造では、機能主義という合理的なシステムの上に、高い精神性をもたらす表現主義が、完成された「美」として実現することが可能です。つまり現代においては合理性すら一種の装飾であり、両者は両立共存しているのです。

機能主義、表現主義、どちらにウェイトを置こうとも、それぞれのポジションでの美しい精神性、芸術性を湛えていること。それはつねに目指していきたい僕の理想のひとつです。

いやその前に、芸術性とは、いや、芸術とは何ぞやということについて、一度考えを整理してみたいと思っています。


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